2021.09.02
はちまんかまど海女文化を世界へ!人々の笑顔が集う海女小屋「はちまんかまど」の親子・野村レイ子さん・一弘さんの物語。
太陽の光が海や山のリアス海岸に降り注ぐ、風光明媚な伊勢志摩。
伊勢神宮やリゾート地・賢島など観光地としても名高い。恵まれた海では、太古から続く海女文化が今も継承され、鳥羽・志摩の海女さんは2019年、日本遺産(文化庁)に認定された。鳥羽・志摩の海女さんの人数は日本最多で、鳥羽市の漁師町・相差町はそのなかでも一番多い。
相差町には海女さんたちに信仰され「女性の願いなら一つは叶えてくれる」という石神さん(神明神社)が有名だが、地元の海女さんがもてなす海女小屋「はちまんかまど」は国内外を問わず観光客に人気のスポットだ。
海女さんを元気に!地域に活気の循環を!
海女小屋「はちまんかまど」を運営するのは、社長の野村一弘さん。
一弘さん:命がけで海に潜る海女さんにはパワーがあると思うんです。
一弘さんは海女である母・レイ子さんと海女小屋「はちまんかまど」の事業を始めた。その経緯を伺った。
一弘さん:最初はお手伝いというか、頼まれごとやったんです。
聞けば、今から17年前に鳥羽市が団体の外国人観光客を受け入れるために、地域に根ざす魅力に触れてもらう事業が立ち上がったという。そこで岬の先にある比較的大きい作業用の海女小屋で、料理を振る舞うという案が出た。
一弘さん:海女小屋は海女さんの旦那が入ることもタブー視される場所。当時の鳥羽市の担当者が、受け入れてくれる海女小屋がなく困っていて相談を受けたんです。
レイ子さんはアメリカに親戚がいて、同じ海女小屋で作業する他の海女さんもオーストラリアに娘が暮らしていたこともあり、外国人客の受け入れのハードルが低く、彼女らの作業用海女小屋が受け入れ場所に選ばれた。
一弘さん:最初は外国人客が喜んでくれるのか不安でした。
そんな不安を吹き飛ばすエピソードを教えてくれた。
北米からやってきたとある外国人客は高校教師を勤め上げ、そろそろリタイヤのタイミング。余生の過ごし方のヒントを求め、今まで行ったこと、やったことのない旅に出ていた。岬の先にある作業用海女小屋にきて、自分より年上であるレイ子さんなどの海女さんが海で600mも泳ぎまわり、10mも素潜りをする現場を見て、驚くと同時にパワーとホスピタリティーに大感激したという。
一弘さん:観光用の海女小屋は、当初の作業用海女小屋からあさり浜(現在の場所)に移転したのですが、当初から今でも訪れたお客さんがノートに感想を書いてくれています。そこには食事はもちろんのこと「海女さんに元気をもらった!また来ます」というコメントが多いです。それは地元の海女さんにしてみても嬉しいことだと思います。
海女小屋「はちまんかまど」がなければ、海女さんは作業用海女小屋のメンバーと海に潜り、水揚げをして仕事は終わる。自分が獲った海の幸を、誰が、どこで、どんな表情をして食べているかを知ることはない。
一弘さん:ここで食べる人と繋がることで、海女さんは自己肯定感や地元への誇り、海女の仕事への誇りが芽生えています。
17年前に始まった海女小屋「はちまんかまど」の立ち上げから、ずっと海女文化の魅力を発信し、地元とともに歩んできたレイ子さんにお話を聞きたくなった。
一弘さん:レイ子さんー!ちょっと来てーな。
チャーミングな笑顔でお話いただいたレイ子さんは、なんと90歳。80歳まで現役海女さんとして海に潜っていた。元気の秘訣を伺った。
レイ子さん:私は、お客さんからパワーをもらっとるんです。
緩む目尻でそう話すレイ子さんに、私は言いたい。パワーをもらっとるんは、こちらですよと。
一方、一弘さんは新たな展開にも取り組んでいる。
一弘さん:海外の人に通販でも海の恵みを知ってもらうために、貝焼き通販の事業を始めました。シンガポールへの出荷も開始しました。
海女小屋をはじめたとき、外国人が喜んでくれるのかと抱いていた不安はもうない。地元の誇れる魅力は事業を通じて自信となり、確信に変わった。
海女さんにも広がる、地元への誇り。
海女小屋「はちまんかまど」では、16人の海女さんが働いており、もてなしてくれる。今回は現役海女の志も子さんとみつゑさんに、料理を振る舞ってもらう。その前にお二人の海女さんとしての日常をお伝えしたい。
朝8時、岬の先にある自分たちの作業用海女小屋に向かい、漁の準備を行う。9時から1時間半ほど海に潜り、11時頃に漁は終了。その後、作業用海女小屋で仲間と海で冷えた体を温めご飯を食べたり、珈琲を愉しむのが日課。
今朝も海に潜り、旬のアワビを水揚げたそうだ。今年は肉厚だという。
志も子さん:このアワビは、よう肥えとる。私たちみたいにな。ハッハッハー!
海女さんたちの明るい声が夏の海に響く。
アワビなどの貝類だけでなく、ヒジキ、ワカメ、天草などの水揚げも海女さんの仕事。
みつゑさん:小さい頃、母が天草で作ってくれた寒天が愉しみでしたよ。子どもの頃から海に潜るのが遊びなんです。そのなかで海女である母に仕事を習う。だからいつから海女という線引きがないんです。この辺りでは「潜れないとお嫁に行けない」いわれていました。
この地域において、経済的にも海女さんの仕事は重要な位置にあった。今も海女さんを続けるお二人にとって、海女小屋「はちまんかまど」はどんな存在なのだろう。
みつゑさん:ここに来てくれるいろんな人とお話をしたり繋がったり、それがとても愉しいんですよ。海女という職を通じて、鳥羽の海の美しさ、自然の豊かさを知って欲しいと思います。
島国・日本の文化を体現する伊勢志摩
外国人目線で捉えるとは海の国というイメージが強いと聞いたことがある。私たちが暮らしているのは島国・日本であり、海とともに暮らす文化が根付いていた。鳥羽市にある縄文時代の白浜貝塚からアワビの殻やイタボガキの殻が出土しており、潜水しないと獲れない貝類であることから、縄文もしくはそれ以前から海女文化はあったと推察されている。素潜りで海に潜る海女漁は、資源を獲りすぎない先人から受け継ぐ知恵であり、自然への畏怖や畏敬の念を持つ日本人の精神そのものでもある。そのような文化が今も息づく伊勢志摩には、太陽の神・天照大神が鎮座し、自然の恵みをもたらし続ける。
海に潜り自然とともに生きる海女さんたちは、太陽や自然といったパワーの恩恵を日々受けている。そして海女さんから元気をもらう私たちは、海女さんと触れ合うことでパワーを還元することができる。
そんな元気の循環は、今日も伊勢志摩に巡る。
食べてカラダに栄養を、語らいココロに満足を。
取材協力
海女小屋 はちまんかまど
〒517-0032 三重県鳥羽市相差町819
はちまんかまど予約案内所 TEL 0599-33-1023
HP https://amakoya.com/
Facebook https://www.facebook.com/amahuthachiman
取材:2021年8月11日
文:WEBマガジンOTONAMIE 村山 祐介
写真:松原 豊