2022.03.18

天満荘

「10日住めば天満の人」。移住者が活躍する開放的なまちづくり「天満荘」松井まつみさんの物語。

高台から見下ろす天満浦の町並み

豊かな恵みをもたらす光る海。多くの釣り人たちが集まる尾鷲漁港の北東にある漁師町・尾鷲市天満浦。170名ほどが暮らす小さな集落の北側には、世界遺産・熊野古道馬越峠から、天に向かって伸びる天狗倉山。山麓の斜面には、市の特産品の甘夏畑が広がっている。

歴史と風格が漂う天満荘の外観

そんなまちのシンボルとして親しまれているのが、集落を見下ろす海抜30mの高台にある今年で築97年を迎える天満荘。地域の60代から70代を中心に17名のメンバーが集い、まちづくりに取り組むNPO法人「天満浦百人会」の活動拠点でもあり、地域の防災拠点でもある。また、2017年には三重大学の東紀州サテライトの東紀州産業振興学舎にも認定されており、教育研究の実践の場としても活用されている。天満浦百人会は2020年に計30年以上にも及ぶ活動が評価され、地方紙46紙と共同通信が主催する「地域再生大賞」の優秀賞を獲得している。

 

50年近くも地域に根付くまちづくり精神

天満荘で今までの活動を振り返る松井さん

天満浦百人会の理事長・松井まつみさんは81歳。ここに至るまでの活動の原点を辿ると50年近く前の昭和40年代。現在は解体された中部電力尾鷲火力発電所からの補償と、地域住民がお金を出し合ったお金を利用して建てた拠点「天満会館」が完成し、そこにお母さんたちを始め、老人会、青少年育成、福祉など様々な活動に携わる人たちが集うようになり、その人たちが一緒になって活動を始めたとのこと。

天満浦は生え抜きの人よりも、結婚や仕事など、様々な事情で地域の外から移り住んできた人たちの方が多く暮らす珍しいまち。松井さんも結婚を機に現紀北町から嫁いできたがその当時は開放的な雰囲気ではなかったため、移住者も地元の人も一緒に仲良く暮らせるようにとまちづくりに取り組んだり、個人でも住民と密接にかかわる民生委員を務めてきた。

その甲斐あって現在では、見知らぬ人を見かけても町民が積極的に挨拶し、その人が地域で10日も住めば「天満の人」と皆が認めるほど、開放的で温かい雰囲気が漂う町になっている。定年退職後に移住したり、県外と行き来する二拠点生活を送っている人もいる。

その流れから天満浦百人会は2007年6月に法人化した。ちょうどほぼ同じ時期に「夢古道おわせ(同市向井)」のレストランに協力し、お母さんたちの温かい心のこもった地元の味が楽しめるランチバイキングを提供することになった。初めは反対をしていたお父さんたちも食材などの運搬や送迎に協力し、7年間はレストランで腕を振るった。その後、夢古道おわせでの活動を惜しまれつつも卒業。そこからは天満荘に活動拠点を移して今に至る。

天満荘は大正14年(1925)に紡績会社の社長が別荘として建てたと言われており、戦後より長らく中部電力の保養施設として利用されてきたが、長らく利用していなかったため、取り壊されることに決まっていた。

しかし、地域の人たちに親しまれてきた町のシンボルのような建物が消えることを惜しみ、昭和19年の東南海地震による津波で天満浦も大きな被害を受けた経験から、地域の避難場所にしようと2009年に天満百人会で資金を出して買い取った。

松井さん:会員の中に、ここを必要で残すべきだという熱い思いと、将来の災害に備えるという強い意志がありました。それが様々な活動にもつながっています。

天満荘を買い取った翌年2010年にはカフェをオープン。潮風を浴びて元気いっぱいに育った甘夏を使ったシフォンケーキやジュースは好評で、地域の人たちだけでなく、様々な人が訪れるようになった。口いっぱいに広がる甘夏の清涼感溢れる味わいを楽しめるだけでなく、眼下に広がるきらめく海やのどかな漁村の風景など、天満浦ならではの魅力を存分に堪能できる。

地域の特産品「甘夏」を使ったシフォンケーキとドリンク

 

市内全体へと広がったひなまつりイベント

各家庭の思いが詰まった雛人形を展示

松井さんたちは、天満荘に活動拠点を移して以降も、月替わりで市民の作品展をひらくなど、精力的な活動を続けてきたが特に力を入れている活動の一つがひなまつりイベント。尾鷲市内や近隣の人々から譲り受けた昭和初期から昭和40年代までのひな人形を天満荘の座敷に展示している。時代によって異なる女雛と男雛を始めとする人形たちの表情やしつらえを楽しんだり、いつの時代も変わらない愛娘のすこやかな成長を願う親たちの思いを感じることもできる。

当初は天満荘だけで行っていたひなまつりイベントも、松井さんを実行委員長に市内全体で広がりを見せており、去年と今年は新型コロナ感染症の影響で中止となったが、市内各所でも展示が行われる予定だった。

松井さん:今年は他の場所での展示を中止しているにも関わらず、あえて天満荘で飾ったのは、天満浦の町が余りに沈んでいるから。コロナのせいで、一人暮らしの高齢者が家にこもってしまい、足腰が弱るだけでなく、心もふさぎ込みがちなので、ひなまつりイベントが家から出てもらうきっかけになればと思いました。

孤独死など、高齢化が引き起こす様々な社会問題を防ぐ最もシンプルな方法は「一人じゃない」と感じられる瞬間を増やすこと。天満浦の高齢化率も55%で、小学生も数人と少子高齢化の一途を辿る中、天満荘は地域の人の心をつなぐ役割を果たしている。

 

大漁旗で「魚のまち」尾鷲をPR

天満荘のカフェにも大漁旗は飾られている

松井さんは、尾鷲の漁師文化の継承を目的に「大漁旗」の展示もライフワークにしている。魚が沢山取れたり、船の進水式などの祝い事の際に掲げられる大漁旗には、鯛や鶴や亀などの縁起物が色鮮やかに描かれている。最盛期の昭和30年代は尾鷲市内にも旗をつくる工房が3軒あったが、今では絵付けをする職人は誰も居なくなってしまった。

松井さんは初めて展示を行う際には、漁協を通じて漁師を廃業した人たちなどに呼びかけて使わなくなった旗を集めた。やがて、旗集めに協力してくれる人や思い出のつまった旗を飾ってほしいと持って来てくれる人も現れ、100枚ほど集まった旗を天満荘やその周辺などで展示してきた。

松井さん:尾鷲市の全域で大漁旗の展示がしたいので、別の方に実行委員長をお願いして企画を進めていく予定です。一番飾りたい場所は尾鷲市役所周辺。色々な場所で飾って、尾鷲が魚の町であることをPRしたり、旗の文化を伝えたい。なにより旗を見ると勇壮で元気が出るんです。

 

甘夏畑の復活に奮闘する移住者

日下浩辰さん

松井さんたちが育んできた移住者を温かく受け容れる天満浦の特性は、地域の特産品である甘夏づくりの未来にも影響を与え始めている。カフェで提供しているシフォンケーキやジュースなどの原料になる甘夏を生産しているのは、尾鷲市農業支援地域おこし協力隊の日下浩辰さん。一念発起で脱サラし、昨年1月に大阪府堺市から家族で移住してきた。天満浦で小学生の娘さんを含む家族3人での生活をスタートした際には、松井さんたち地域住民がすぐに「天満の人」として認めてくれたおかげで、今ではすっかり馴染んでいる。

日下さんのミッションは荒廃してしまった甘夏畑の復活。3年放置されている間に、草木が生い茂り、荒廃してしまった農地を復活させ、無農薬での甘夏栽培にチャレンジしている。天狗倉山麓一帯には、1960年に三重県の事業で開墾された甘夏畑が広がっているが、生産農家は80歳前後が中心。最盛期には27軒あった甘夏農家は5軒まで減少し、後継者不足のため、危機的な状況に陥っている。

日下さんに与えられたミッションは蘇らせた耕作放棄地で美味しい甘夏をつくることだけに留まらず、甘夏を加工してジュースやジャムなどの製品化を目指す六次産業化も含まれている。

甘夏畑からは美しい景色が楽しめる

日下さん:甘夏畑から見える景色は本当に素晴らしいが今は誰も来ない。他の産地では当たり前のようにやっているみかん狩りもこの地域ではやっていないので今後甘夏の収穫体験を企画して、尾鷲の良いところをいろんな方に知って頂けるようにしたい。ずっと松井さんたちがやってきた天満浦を人の集まる場所にしたいという取り組みを繋げて行けたらと思っています。

天満荘の縁側で語らう日下さんと松井さん。

日下さんが思い描く甘夏を軸にした町おこしには、松井さんの熱い思いの影響が大きい。日下さんは4月末から5月始め頃に天満浦百人会と協力して甘夏の収穫体験を企画している。

 

次代へと受け継がれるまちづくり

松井さんが地域で一番好きな場所は漁港の堤防。

松井さんは最近は、可能な限り毎日同じ場所から日の出を見て、写真に収めている。太陽の昇る位置は尾鷲湾を北から南へ日々移動しており、佐波留島や桃頭島の間など湾上の島々の間を10日ほどの周期で往復するそうだ。長年、地域で暮らしてきた松井さんも、毎日朝日をつぶさに観察するようになってからというもの、日々発見があり、新鮮な喜びがあるという。

松井さんが撮影した2022年の初日の出の写真

松井さん:朝日を見ると感動します。春の朝日はとても優しい色で素晴らしい。光る海も写真のテーマにしていますが、毎日楽しい。80歳を過ぎてこんなに毎日楽しい人生があったとびっくりしています。

そう語る松井さんに残された課題は、天満浦百人会の活動を引き継いでくれる後継者の育成。

松井さん:私は尾鷲が好き。そして天満浦が好き。なんとも言えない素晴らしい町。しかし、私も今年で82歳なので、旗を振り続けるのは難しい。次の方にバトンを渡して、天満浦を今後もにぎやかな町にしていきたい。

50年近くも天満浦のまちづくりに取り組む松井さんを突き動かしてきた思いは、深い地域愛に他ならない。若者たちは大学への進学や就職を機にやむを得ず尾鷲を離れてしまうことも多いが、三重大学のサテライトでもある天満荘には、日々学生たちが訪れる。彼らの明るい笑顔は過疎化、少子高齢化に直面する地域を照らす一筋の希望にもなっている。

松井さんたちのまちづくりはやがて次代へと受け継がれていくが、閉鎖的になりがちな農山漁村地域において「十日住めば天満の人」という開放的な気風はかけがえのない財産となることは間違いない。
天満荘はこれからも地域のシンボルとして人々の営みを見守り続けるだろう。

 


 

取材協力
天満荘
〒519-3602 三重県尾鷲市天満浦161
TEL 0597-22-7880
HP https://www.city.owase.lg.jp/contents_detail.php?co=kak&frmId=17473

取材=2022年3月2日
文:WEBマガジンOTONAMIE 麻生純矢
写真:松原豊

 

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