2026.03.13
寶鯛(たからたい)の食堂 日々(にちにち)水揚げしたばかりの鯛を味わう贅沢 南伊勢町で養殖と食堂を営む「大下水産」のみなさんの物語。
家族で育て、家族で届ける「寶鯛」
穏やかな五ヶ所湾に面した南伊勢町迫間浦(はさまうら)。入り組んだ海岸線と静かな入江が広がるこの地で、「大下水産」は自然の恵みに向き合いながら鯛の養殖に取り組んでいる。
その鯛は「寶鯛」と名付けられ、自宅を改装した食堂「日々」で提供される。水揚げから調理までを自らの手で行うからこそ保たれる鮮度。養殖と食堂をつなぐその営みについて、店主の大下清美さんに話を伺った。

リアス海岸が広がる南伊勢町迫間浦の海
湾内には養殖筏が整然と並び、海の静けさが時間の流れをやわらげている。季節や時間帯によって表情を変えるこの海は、鯛を育てる大切な舞台となっている。
大下さん:ここは波が穏やかで、鯛を育てるのに適した環境です。主人と息子が毎日海の様子を見ながら、その日の状態に合わせて世話をしています。自然と向き合う仕事ですね。

養殖や漁に使われる船が並ぶ港
入江に面した漁港には、多くの船が停泊している。養殖業や漁業など、地域の産業を支える拠点だ。早朝には出港の準備をする人の姿が見られ、港に少しずつ活気が満ちていく。
大下さん:主人と息子は、この港から毎日海に出ます。天気や潮の様子を見ながら準備を整え、一日が始まります。町と海をつなぐ場所として、ここから日々の暮らしが動き出します。

養殖筏へ向かう船「大宝丸」
五ヶ所湾を進むこと約15分。山々に囲まれた静かな海を抜けると、沖合に養殖筏が姿を現す。潮の香りとエンジンの音に包まれながら、海上の仕事場へ向かう。
大下さん:「大宝丸(たいほうまる)」という船で海に出ています。主人の父から受け継いだものです。この地域では主人のことを「おーい!大宝」と呼ぶんですよ。私は「大宝の嫁」ですね。それくらい、この船は地域に根づいた大切な存在です。

養殖筏で親子が息を合わせて作業にあたる
大きさ10m×10m、深さ8mの筏に到着すると、すぐに作業が始まる。網の状態を確認し、鯛の様子を見ながら餌を与える。海の環境や水温、鯛の動きに目を配り、日々の変化に応じて丁寧に世話を続けていく。
大下さん:いろんな方に「養殖のこだわり」を聞かれますが、主人はいつも「普通に育てているだけ」と答えます。その「普通」という言葉には、職人としての自信や経験が詰まっているのだと思います。

朝の光を受けて輝く「寶鯛」
筏から水揚げされたばかりの鯛は、力強く身をくねらせ、澄んだ目をしている。艶やかな体表と引き締まった身からは、五ヶ所湾の海で大切に育てられたことがうかがえる。「自分たちにとって宝物」という思いを込め、「大宝丸」にちなんで「寶鯛」と名付けた。
大下さん:主人と息子が手塩にかけて、大事に育てている鯛です。お客さんが召し上がる直前まで勢いよく泳いでいます。
育てた鯛を自らの手で届ける「念願の食堂」
「寶鯛の食堂 日々」がオープンしたのは2023年1月。以前から「朝一で水揚げした、さばきたての鯛を食べてもらいたい」と思っていた大下さんとご主人の弘和さん。しかし、二人だけでは水産業の日常業務で手がいっぱいだった。そんな折、町を出て働いていた息子の航平さんが南伊勢町に戻ってくることになり、それを機に念願の食堂オープンを決意した。
大下さん:海から揚げた鯛をさばいて食べる。私たちにとってはごく自然な昼食ですが、友人に振る舞うと「おいしい!」と喜んでくれるんです。それがうれしくて、自宅の一室を改装し、肩肘張らずに来てもらえる空間をつくることにしました。

あたたかみのある、居心地のよい店内
自宅の一室を改装した店内は、木のぬくもりを感じる落ち着いた空間。豪華さや華やかさを前面に出すのではなく、自然体で過ごせることを大切にしたお店づくり。海の仕事場とは異なる、家族の新しい挑戦の場でもある。
大下さん:家の一角をお店として使っているので、あまり気取らない雰囲気にしました。普段着のまま、ふらっと来ていただけるようなお店にしたかったんです。

家族で力を合わせ、仕込みを進める
厨房では、大下さんと妹、そして息子の航平さんの奥さんが手分けして仕込みを進める。水揚げされたばかりの鯛は、鮮度が命。素材の良さを生かすため、余計な手は加えない。養殖から提供までを自らの手で行うからこそ、鮮度と味に責任を持てる。それが「日々」の強みだ。
大下さん:妹は営業日の土日にお店を手伝ってくれています。以前から「いつか飲食店をやりたいね」と話していたので、このお店は姉妹にとっても念願の場所です。息子の奥さんも快く協力してくれて、本当に家族に支えられています。

鯛の魅力を存分に味わえる「寶鯛の定食」2,500円(税込)
食事メニューは「寶鯛の定食」一種類(内容は不規則に変わる)。その時期に最もおいしい形で鯛を味わえる構成となっている。取材日の2月は、紫蘇の実入り鯛めし、朝〆鯛のお刺身、鯛のお頭の煮付けという鯛尽くしに、アオサの味噌汁、副菜、自家製の漬物にデザートが付く贅沢なラインナップ。
ひときわ鮮度を感じるのは、朝〆鯛のお刺身。ほどよい弾力があり、噛むほどに旨味が広がる。水揚げから提供までの時間が短いからこそ味わえるおいしさだ。
大下さん:鯛を一番おいしく召し上がっていただけるよう、いつもメニューを考えています。私たちが「今が食べ頃」と思うタイミングでお出しすることも大切にしています。塩やアオサ、五ヶ所小梅など、鯛以外の食材もできるだけ南伊勢町産のものを使っています。この町の自然の恵みをまるごと味わっていただきたいです。

鯛料理の余韻を引き立てる、大下さん手作りのデザート
「寶鯛の定食」の最後を彩るのは、大下さんが考案し、自ら手作りするデザート。この日の一皿は、爽やかなレモンゼリーと、南伊勢町のいちご農園「いちごのにわ」のいちご、ラム酒風味のフルーツとナッツのケーキ。ゼリーといちごの酸味と、ラム酒が香るケーキの控えめな甘さが重なり合い、定食の締めくくりにふさわしい味わいとなっている。
大下さん:デザートは、鯛料理とのバランスを考えて作っています。酸味でさっぱりと、甘さは控えめにして、鯛の味の余韻が残るように、試作を重ねながらレシピを仕上げています。

香ばしさが際立つ「鯛の炙り寿司」1,500円(税込)
テイクアウト専用の「鯛の炙り寿司」も人気。すし飯の上に5種類の薬味と寶鯛の炙りをたっぷり乗せた本格派の一品。使用する鯛は、当日の朝に水揚げし、神経締めを施したもの。調理場ですぐにさばき、仕上げに皮目を軽く炙る。香ばしさが加わることで、皮と身の脂の旨みがより一層引き立つ。
大下さん:養殖の鯛は、一年を通して味わいが安定しているのが大きな魅力です。それでも、水温の変化によって身質に違いが出ることもあります。その日の状態を見極め、それぞれの良さを活かして調理しています。
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南伊勢町の海と家族が生み出す「特別なひととき」
伊勢志摩国立公園の南玄関に位置し、「奥志摩」として親しまれる南伊勢町。リアス海岸が織りなす雄大な景観と、緑深い山々に囲まれた自然あふれる町。海と山の暮らしを間近に感じられる貴重な場所で、地元の人々とのふれあいを通して、多彩な体験を楽しめるのも魅力の一つだ。

海と山の景色を同時に楽しめる「南海展望公園」
町を代表する絶景スポット「南海展望公園」は標高約150mの高台にあり、360度のパノラマが広がる。青い海と入り組んだリアス海岸を見渡す景色に思わず息をのむ。
大下さん:地元のおすすめスポットを聞かれたら、やっぱりココですね。青い水平線と広い空がどこまでも続く景色を見ていると、時間を忘れてしまいます。「絶景ブランコ」もあるので、この空間そのものを楽しんでほしいです。

穏やかな夕景に包まれる南伊勢町
口コミやSNSで評判が広がり、各種メディアでも紹介されることが増えた「寶鯛の食堂 日々」。予約で満席となる日も多く、町内外から訪れる人が絶えない。
大下さん:「このお店の鯛を食べたくて来ました」と言ってくださる方も多く、私たち自身も驚いています。食べ終わった後に「本当においしかった」「来てよかった」と声をかけていただくと、また頑張ろうという気持ちになります。これからも南伊勢町の生産者の思いを大切にしながら、この土地で育まれた食材を合わせてここでしか味わえない「南伊勢らしい定食」を提供していくのが目標です。
多くの人の笑顔を生み出している「寶鯛の食堂 日々」。家族で始めた新たな挑戦は、互いを支え合う時間を重ね、より深い絆につながった。あたたかな空間で味わう「鯛料理」には、南伊勢町の海の恵みと人の魅力が詰まっている。
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取材協力
寶鯛の食堂 日々
〒516-0116 度会郡南伊勢町迫間浦1188-19(大下水産)
電話番号 090-7850-7557 ※完全予約制。2日前まで
HP https://nichinichi.base.ec/
取材:2026年2月28日
文 :新開康介
写真:亀田悟
※写真一部:「寶鯛の食堂 日々」「三重フォトギャラリー」提供

